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『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(アデーレ・ブロッホ=バウアーのしょうぞう) は、グスタフ・クリムトによる絵画で、1907年に完成された。 報道によれば、2006年6月、当時としては史上最高値の156億円(1億3500万ドル)で、エスティ・ローダー社社長(当時)のロナルド・ローダーに売却され〔NY Times report 2006年6月19日 〕、同年7月からニューヨークのノイエ・ガレリエに展示されている。 ==絵画== クリムトはこの絵の完成に3年をかけた。 大きさはおよそ138 x 138 cm 、キャンバスの上に油彩と金彩を施し、ユーゲント・シュティール様式の複雑で凝った装飾がなされている。 クリムトは、絵画の伝統的手法を打破しようとする芸術家のグループ・ウィーン分離派に属していた。この絵はフェルディナント・ブロッホ=バウアーの注文によりウィーンで描かれた〔フェルディナント・ブロッホ=バウアー Ferdinand Bloch-Bauer は、幼名フェルディナント・ブロッホ、ダーヴィト・ブロッホ(David Bloch、別名アブラハム・ブロッホ)の息子で銀行家かつ砂糖工場主。母はマリー(旧姓:シュトラシュノウ) Marie, née Straschnow 。フェルディナントは、ウィーンの銀行(ヴィーナー・バンクフェライン Wiener Bankverein)の頭取モーリッツ・バウアーと妻ジャネット(旧姓:ホーニヒ)の間に生まれた娘アデーレ・バウアーと結婚した。フェルディナントがアデーレと結婚する際、両姓をとってブロッホ=バウアーとした。〕。 フェルディナントは砂糖産業で富を得た裕福な実業家であり、芸術家を後援し、クリムトを支援した。クリムトは1912年には『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 II』を描いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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